教育問題はまず教える側が変わる必要がある/畑恵先生

最終更新日 2024年11月1日

教育問題がなくならないのは、教える側に問題があるから

昔から教育問題はあって、この問題が無くならないのは教える側に問題があるからという事は間違いありません。

特に昨今では教える側の問題を生徒の問題にすり替えたり、政治の問題にすり替えたりすることが多くなっているという事が特徴的なところといってもいいでしょう。

教える側がハッキリとした目標も無く、意味も感じないで単にマニュアル時に授業だけをすればいいと考えるようになっている所がこの問題の根深いところといっても良いかもしれません。

昔は教育者というと尊敬されて自分なりの主義主張があり、それなりの威厳があるものでしたが、今は教育者というと、何の主義主張もなくただマニュアルに従うだけの人というイメージになっています。

そのため教わる側もそこから何を教わればいいのか全く分からないという事になっているのが現実です。

特に良くないのが教える側が大きな権力を持ってしまっているという事がある事です。

教育委員会という不思議なシステムが未だに存在している

その一つが教員委員会という不思議なシステムが未だに存在しているところでしょう。

学校では校長という全責任を持ち人がいるはずなのに、これとは別に教育委員会なるものが教育に対して口を出してきて、校長は自分が考える教育が出来ないシステムになっています。

このシステムは戦後の敗戦国のシステムとして戦勝国に逆らうような教育をさせないという監視の意味で付けられたものですから、既に戦後という言葉が風化している今では意味のない物であるはずなのですが、それが未だに大きな権力を握っていて自分の考えを押し通すというところに今の教育問題の根っこがあると考えても良いはずです。
引用元  「畑 恵

何故かこの教育委員会は口は出すけれども責任は取らないという実に不思議なシステムになっているのです。

それでいて報酬も出るシステムになっていて、何のためにこの組織があるのか自体もよく分からない事になっています。

確かに戦後には教育を監視するという組織は必要でした。

特に戦勝国として敗戦国の教育を放置するような事は出来なかったはず。

その意味ではこの組織は必要だったかもしれません。

ですが、今となっては無用の長物であることは明々白々です。

その学校の教育の責任は全て校長にあるわけですから、これに口出しできる組織があるということ自体が意味不明な組織だといっていいでしょう。

教育に不満がある親はどこに不満を言えばいいのか分からなくなるという状態です。

これは責任の所在がよく分からなくなっていることの証だといってもいいはずです。

教育に監視が必用なのかどうかを再度吟味する必要があるでしょう。

教育委員会には大きな権力とお金が流れている

何故ならこの教育委員会に大きな権力とお金が流れているからです。

流れているのは税金なのですから、当然この組織の存在意義については議論をする必要があるでしょう。

存在意義がない、若しくは間違った教育を押し付けるような事があるのであれば、この組織そのものが意味がないどころが害を与える元凶となっていることにもなります。

現にこの教育委員会が大きな問題を起こすという事も度々起きています。

何しろ、自分たちに責任は無いのに監視だけして文句だけを言えばいいという機関になっているわけですから、組織が長く存在すればそれだけ腐敗していくのは当然ということになります。

監視という事で自分たちが正しいという裁判官のような勘違いをしていることもあるのでしょう。

監視をするということは、自分たちの考えと違うことをしていれば、それを正すという事と考えている人が多くいると考えられます。

ですが、この考えは既に古い考えで、今の新しい教育体制においては、国が主導してある程度の教育の方針を決めて、その範囲の中で校長が全責任を持って教育をするというのが今のシステムの考え方となっています。

そこに、古い考えを持った教育委員会のようなものが必用なのかどうかは今後しっかりと議論をしていく必要があるでしょう。

教育委員会は必要かどうか議論し、不要なものは解体することが必要

そして、不要となればそのようなものに税金を投入するわけにはいきませんから、一刻も早く解体するという事が必要になります。

そうしなければ、校長が全責任を持って仕事をするという普通の環境になりません。

それでも、さまざまな教育問題は出てくる事にはなるでしょうが、少なくとも責任の所在が明確になっていることで、対処もしやすくなるといえるでしょう。

ある意味では教育委員会の存在が責任を不明確にして、曖昧な事が出来るようになってしまっているという事にもなっています。

教育はとても難しい問題ですから、これが唯一の正解という事が言えないことが多く、この曖昧さが放置されてきたわけですが、このままでは何の教育問題も解決されないままに時間だけが過ぎていくという事になるかもしれません。

何しろ、一度でも機能した組織を無くすという事は、その組織で甘い汁を吸ってきた人間にとっては耐え難いことですから、これを許すことはなく、大反対をすることは間違いありません。

ですが、それに負ける事無く正しい事をすることで教育問題は少し進むことが出来るといえるはずです。